毎年5月の第二日曜日は「母の日」で、母親に日頃の感謝の気持ちを表す日です。
私もこの時期が近づくと、今年は何を贈ろうかと毎年頭を悩ませています。プレゼント選びって難しいですよね。
ところで皆さん、母の日の由来はご存知ですか?
感謝を伝える日ということは知っていても、背景まで細かく知っている人は少ないんじゃないでしょうか。
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プレゼントを選んでいると、ふとこんな疑問が浮かんだので一度「母の日の由来」について詳しく調べてみました。
現在までの歴史を調べてみると、「なるほどな」と知らないことだらけでしたね。
そこで今回は母の日はいつできたのか?どんな歴史があったのかについて詳しくご紹介したいと思います。
目次
母の日の由来
母の日の由来母への感謝の気持ちを込めてカーネーションを
話の時代背景
アメリカ・フィラデルフィアに住む母と娘のエピソード
【登場人物】
アンナ・ジャービス:アメリカ・フィラデルフィアに住む娘
アン・ジャービス:アンナの母。
アメリカに住むアンナが亡き母・アン・ジャービスへ感謝の気持ちを込めて母が大好きだった白いカーネーションを教会に飾ったことがはじまり。

日本の母の日はこの説が一般的。
それ以降、母の日を広めようとした運動により全米で徐々にこの動きに賛同する人達が増え、最終的に、1914年に当時の大統領「ウイルソン」が、アン・ジャービスが亡くなった日の5月の第二日曜日を母の日と制定します。
その後、日本でも広まり現在までに至ります。
日本での母の日が現在までに至るまでの大きな流れをまとめるとこんなかんじですね。
母の日の広がり(日本)

日本では母の日が大きく広まったのは1937年のことでした。
元をたどれば森永製菓が母の日を広めたということになるんですねー。
ですが、この頃はまだ「母の日」どころじゃなくて戦争もあり穏やかな時代ではありません。戦後、しばらくたってやっと今のように「母の日」が祝われるようになりました。
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ここからは母の日についてさらに深く掘り下げていってみましょう。
きっとあなたの知らないことがことがたくさんあります。
母の日についてもっと詳しく
Checkアンナ・ヴィーナスさんによる運動が「母の日」を作った
「母親を敬う気持ちを世の中に残しておきたい」という願いからアンナさん自ら、母親のための祝日をつくるための運動を積極的に行います。
その運動をきっかけに賛同者が増え始め、まずは地元の州で「母の日」が作られ、最終的にアメリカで「母の日(祝日)」が制定。
アンナさんは6年がかりで母の日を作ることに成功しました。
アンナさんがこのような運動をしなかったら、もしかしたらこの世に母の日が存在しなかったのかもしれません
そんな母親を敬愛するアンナさんの母親・アン・ジャービスさんは一体どんな人物だったのでしょうか。
アンナさんの母親はこんな人
アン・ジャービスさんは11人兄弟の中で育ちます。が、当時住んでいたウエストバージニア州は医療水準が低いこともあり、無事大人になれたのはたったの4人だけ。
そのような貧しい環境で育ったこともあり、成人したアンは地域の医療環境を改善するためボランティア団体を立ち上げます。
Mothers Day Work Club 結成
:1858年からはじまった医療補助活動などを中心としたボランティア団体

この団体が注目されることとなったのが「南北戦争」でのことでした。
この戦争では団体は敵味方関係なく両方の兵士の献身的に看病します(戦争をせずに平和的な解決する方法を試みたりも)
そして、このことがアメリカ国内で大きく取り上げられ注目されるようになりました。
団体の歴史を知るとアンさんが常に平和を願い続けていた人物だったことがよくわかりますね。
戦争や病気で8人の子供を失った過去
アンさんは戦争や病気によって8人の子供を亡くしています。そういった過去から生きている2人の娘に対して愛情を全力で注いだのです。

以上がアン・ジャービスさんの生前の活動についてのお話です。
とても偉大な人だったことがわかったかと思います。
こんな愛情たっぷりな母親に育てられた娘のアンナさんは母への感謝を込めて「母の日」を作ることを決意したのです。
とても素敵な話ですよね。今となっては当たり前になっている母の日ですが、こんな歴史があるとは知りませんでした。
では、ここからはカーネーションについても少し触れていきます。
母の日といえば、カーネーションは赤の色を贈るのが一般的ですが、そうなったのにはこんな背景がありました。
カーネーションにまつわる話
昔は赤と白の2つのカーネーションが母の日では使われていました。
それぞれの違いは以下の通りです。
赤=生きている母親へ贈るカーネーション

花言葉;母への愛情
白=亡くなった母親へ贈るカーネーション
花言葉:「あなたへの愛は生きています」「私の愛情は生きています」
この色の区別は1960年以降「赤」に統一されます。
当時は当てはまる方の色を胸に飾ることが風習でしたが、やがてカーネーションをプレゼントとして贈るようにかわっていきました。
以上が「母の日」の由来と現在に至るまでの流れです。意外と知らないことが多かったのではないでしょうか。
商業化は加速される一方なので人気のプレゼント選びに迷われている方も多いかもしれませんが、意味を知ればよりこの日の大事さがわかりますね。
母親に感謝の気持ちを表す日として間違いないですが、起源をたどると平和を祈る日でもあるのです。
友人同士の会話で、「母の日の由来って何?」なんて話題になった時は「こんな歴史があるんだよ」と教えてあげてみて下さい。
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